442連隊に関するレポート その10

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日系2世部隊、イタリア シビタベキアへ

1944年1月14日、将校4名と2世兵19名がOSS(CIAの前身)のパーカー大尉に率いられて機密任務を行う。続く3月には第100大隊の補充兵として将校10名、兵士165名が先発。
4月22日、442連隊はシェルビー基地を発つ。のちにハッティズバーグの市長となるボビィ チェーンは当時14歳でシェラビー基地での新聞配達をしていた。彼はまるでピクニックに行くような陽気さの442連隊が珍しかったと記憶している。当時のアメリカ軍新編成部隊は3~6ヶ月の訓練で戦場に投入されているので1年間行き場所が決まらないのは異例である。
5月1日、バージニア州ハンプトンローズを出航。彼らをイタリアへ運んだのはその名もリバティ号である。6月2日、Uボートを回避するためジグザグに進みナポリに到着。世界で最も美しい港は廃墟となっていた。6月7日、ナポリを経由してアンツィオに上陸。6月10日、シビタベキアに到着した。ちなみにイタリアに上陸した連合軍は総勢190,000名に達する。
北アフリカ到着時の第100大隊とは打って変わって、第5軍の師団長たちは皆「442連隊をぜひ我が軍に」と希望した。第34師団ライダー少将は「これまで第100大隊と生死を共にしてきた。第100大隊が442連隊に編入するのなら、第34師団に入って当然」と主張、442連隊は34師団に編入された。第100大隊は、そのままの名称で442連隊の第1大隊となり、掲げられたトーチのマークを右肩に付けることとなる。このとき(セパレート)がはずされ、代わりに(Segregated)(セグリゲーテッド)が付けられた。
当初は442連隊とオリジナルの第100大隊との間に小競り合いが起きた。

ベルヴェデーレの戦い

 第34師団はローマを離れスベルトへ北上。第442連隊は1944年6月22日、グロセット近郊グラバザーノで初めて戦列につく。442連隊指揮官チャールズ ペンス大佐のおごりから先輩の第100大隊は予備として後方に回された。
6月26日には高地攻略を開始。ベルヴェデーレの戦いである。442連隊は中央から攻撃を始め、別の連隊が左翼と右翼から攻撃した。
 ペンスは第2大隊、第3大隊を先鋒にたたせ、第100大隊を待機させる。ドイツ軍は左翼を攻撃し、非日系部隊の133連隊は後退。第2、第3大隊も前進できずにいた。被害の大きかったF中隊では、キヨシ ムラナガ上等兵が単身迫撃砲で攻撃、敵の88ミリ砲に命中したが、彼も銃弾に倒れる。
大混乱に巻き込まれ、自らのジープも囲まれ命を危うくしたライダ-師団長は、後方待機していた第100大隊長ゴードン シングルス大佐を怒鳴った。”Singles! Clean up this fucking mess right away!” 
ペンスは第100大隊に出撃命令を出す。シングルスは、動きのとれない第2、第3大隊を巧みに迂回しドイツ軍が軽視していたベルヴェデーレ北東高地に進む。そこからはドイツ軍が丸見えだった。ただちに第522野戦砲兵大隊に砲撃指示がだされる。シングルスはA、C、Dを正面から、B中隊をドイツ軍の背後、ベルヴェデーレの町にまわらせ挟み撃ちをしかける。B中隊はバズーカで戦車を破壊。爆発の勢いでナガジ軍曹が死亡、射手のナカノが気絶した。さらにA中隊はドイツ軍の退路に先回りをする。B中隊に背後を突かれ、さらに第2、第3大隊が押し上げたため、敗走するドイツ軍はA中隊が待ちかまえるミシェリーノ村に誘い込まれる。ドイツ軍は壊滅した。
激戦ののち、第100大隊は高地を占領。第100大隊の犠牲者は戦死4名、重傷7名。ドイツ軍側は、戦死178名、重傷20名、捕虜73名。捕獲もしくは破壊した車両46台、戦車5台、数日はかかると予測された戦闘はわずか3時間で終わった。第100大隊はその翌日のサセッタの戦いでもみごとな勝利を収める。

独立記念日

7月2日、442連隊はドイツ軍を追撃し、チェチーナ川を渡る。トスカーナ地方では夜にドイツ軍の反撃をうける。第100、第2大隊が激しい戦闘を展開し、ドイツ軍戦闘機に翻弄された。特に先陣を切った第2大隊は被害が大きく、G中隊は将校のほぼ全員が死傷という状態であった。442連隊はさらに北上、モリーノへと進む。
独立記念日である7月4日、ヘンリー スチムソン アメリカ陸軍長官が閲兵した。442連隊は第34師団を代表して閲兵をうける。これはクラークの計らいによるものであった。
442連隊はさらに北上。7月7日、ドイツ軍の主要観測地点140高地へ進行する。ここで激しい銃撃戦となる。H中隊は81ミリ砲弾を1,200発も撃ち込んだ。その夜には140高地の東半分を確保。さらにもう1つの主要観測地点ロシアーニの町へ向けてカステリーナへ。さらにポマージャに通じる道路へ進出。7月12日、パスティーナを攻略。その後、第2、第3大隊はルチアノへ、第100大隊はピサの南西19キロにある港町リヴォルノへ向かう。創作ではあるが、矢野徹の『442』ではこのとき黒人のバズーカ兵と出会っている。
7月18日、442連隊の偵察隊は、ドイツ軍の防衛拠点であるピサにてイタリア人レジスタンスと接触、港町リヴォルノを包囲し、リヴォルノとフィレンツェを結ぶ国道67号線まで進む。
ローマ入城の屈辱にたいするクラークなりの応えか、第100大隊は北イタリアで最も重要な港湾都市リヴォルノに、アメリカ第5軍司令官マークW クラーク中将の前衛部隊として1番乗りを果す。そして急遽、第5軍司令部直轄部隊に任命され、この都市の治安維持、警備を担当した。この事実はアメリカ本土の新聞でも大きく報道された。第100大隊は約1週間の名誉ある任務を終え、7月下旬、再び442連隊に合流する。
7月27日、クラークは、先のベルヴェデーレの戦いにおける功績を称え、第100大隊を部隊に与えられる最高位の勲章、大統領部隊感状に推挙した。翌日、イギリス国王ジョージ6世が第2大隊を閲兵する。このとき、クラークは強引に戦闘中の第100大隊の一部を前線から呼び戻し、閲兵をうけさせた。また、海軍長官ジェームス フォレスタルの閲兵の際にはライダーが ”My best unit” と第100大隊の兵の背中をつついた。このときもクラークは無理やり第100大隊を戦場から連れ戻したらしい。
(8月10日から8月23日までのあいだには、第100大隊は第4軍に、第2、第3大隊は第2軍に配属されたようである)
その後アルノ川へと進み、8月23日、アルノ川南岸にあるドイツ軍の偵察基地を攻撃。このとき両軍看護兵による情報交換や協力があった。アルノ戦ではブラジル軍日系兵士との出会いもあった。ポルトガル語と英語なのでうまく話せない。おたがい口からでたのは親の国の言葉、日本語だった。
そして2世兵はフィレンツェに到着する。442連隊はまたもアルノ川を挟んで膠着状態となった。その後、このアルノラインは半年後に442連隊が戻り突破口をつくるまで、まったく前進がみられなかった。

参考資料

書籍
荒了寛『ハワイ日系米兵 私たちは何と戦ったのか?』1995平凡社
矢野徹『442連隊戦闘軍団:進め!日系二世部隊』1979角川書店(『442』2005柏艪舎 再版)
ドウス昌代『ブリエアの解放者たち』1983文藝春秋
渡辺正清『ゴー・フォー・ブローク! 日系二世兵士たちの戦場』2003光人社
ジョーゼフD ハリントン 妹尾作太男訳『ヤンキー・サムライ』1981早川書房
山田太一『あめりか物語』1979日本放送出版協会
James B.Harris『ぼくは日本兵だった』1986旺文社
望月三起也『二世部隊物語1~7』2001集英社

ウェブ
『全米日系人博物館 ヒラサキ ナショナル リソースセンター』 
http://www.janm.org/jpn/nrc_jp/nrc_jp.html
『Go For Broke National Education Center.』
http://www.goforbroke.org/default.asp

『The History of Japanese Immigrants 日系移民の歴史』
http://likeachild94568.hp.infoseek.co.jp/index.html
『二世部隊物語』
http://hawkeye.m78.com/442nd.htm
柏木 史楼『米陸軍第100歩兵大隊及び第442連隊戦闘団—日系二世米兵の第二次世界大戦 The 100th Infantry Battalion & The 442nd Regimental Combat Team 日系二世部隊、ヨーロッパ戦線に参戦』
http://www.pacificresorts.com/webkawaraban/nikkei/050203/
『コロニア ニッケイ社会 ニュース』
http://www.nikkeyshimbun.com.br/040714-62colonia.html
『第442連隊戦闘団 – Wikipedia』

なおレポートはもともと他人に見せる予定がなかったので参考資料表記に漏れがあるかもしれません。ご容赦ください。

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