442連隊に関するレポート その12

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フランス ヴォージュ山脈へ その2

第442連隊はブリュイエール解放後もろくに休息を与えられず、10月19日からD高地、C高地、ベルモンテ、505高地、703高地といった地域で、ドイツ軍と戦闘を繰り広げる。
第2、第3大隊が向かったD高地では衛生兵がドイツ兵に狙撃される。怒った第2大隊の兵士たちは一斉に立ち上がり突撃した。このとき50名以上のドイツ兵を殺してD高地を制圧した。しかし捕虜にしたドイツ兵は16、17歳の少年兵であった。第2大隊の兵士たちに、やりきれなさが漂う。怖い物知らずの2世兵たちにも、この頃から戦争神経症を発症する者が出始める。続いて第3大隊は鉄道に向かうが思いがけない敵の反撃で苦戦する。
ダルキストの命令で第100大隊が攻めたC高地では、漆黒の森に降る冷たい雨が兵士たちの前進を拒んだ。それでもなんとか命令どおり正午に攻略。敵の反撃に備えC高地山頂に待機していると、突如撤退命令がだされる。第2大隊が戦闘しているD高地に全兵力を移せというのだ。C高地から見下ろすと、麓ではドイツ軍が再結集していた。電話を通じて直接やりとりをしたキムとペンスの間に押し問答が続いた。やがてペンスは哀願口調になっていく。隣には命令したダルキストがいたのだ。第100大隊は逆らえず撤退した。ドイツ軍に再占領されたC高地はどうなったかというと、もう1度第3大隊が戦死者を出しながら奪回したという話と、実は隣の第45師団の持ち場で、やはり無用な戦死者を出して奪回したという話と2つある。

ベルモンテでは臨時編成部隊のフェルバー支隊が出撃したが、先に4機のサンダーボルトが敵を爆撃して活躍はなかった。フェルバー支隊とは戦車、対戦車部隊、工兵、A中隊から編成された機動性を重視した部隊である。
505高地は敵から入手した防衛計画図により首尾よく占領。442連隊は北東に向かった。
第100大隊は物資を著しく消耗していた。フェルバー支隊が弾薬と水を運んだが、途中で敵に攻撃される。そのときイサム ササオカ軍曹が重傷をうけたまま最後尾の戦車から機関銃で掃射。ササオカは力尽きて戦車から転げ落ち行方不明となる。補充は失敗。深い森で地図が役にたたない中、ミルトン ブレナー少尉は1個小隊を率いて、ついに第100大隊の後方部隊と接触。なんとか危機を脱する。

ろくな休息も与えられない状況下で、師団司令部から副師団長がやって来る。彼は第100大隊に即刻ビフォンテーヌ村に向かえと告げる。消耗品のように使う司令部に憤慨したキムが直接師団本部に電話しようとすると、副師団長は受話器を抑えてしまう。10月22日、命令どおりヴォージュ山中を北東に進む。第100大隊はあまりの速さに逆に孤立してしまう。師団司令部は敵に囲まれた第100大隊にビフォンテーヌ村の占領を命令。村を見下ろす尾根に陣取っていた第100大隊は、降りればドイツ軍に尾根を取られると反対した。しかし師団司令部は聞き入れない。せめて援軍に高地を守らせて欲しいと要求して第100大隊は村に降りた。村は既にドイツ軍が逃げ出していた。村の住民は森からでてきた小さくてすばしこい兵士が畑のキャベツを食べるのを見て「うさぎみたいだった」と記憶している。うさぎたちは住民に向かって一緒に食べようと手招きをした。
ビフォンテーヌをとるのは容易でも、いったん村に入れば敵に囲まれる。ドイツ軍が呼び掛けた。「君たちは囲まれている。武器を捨てて降伏せよ」誰かが返事代わりに手榴弾を投げた。
第2、第3大隊はビフォンテーヌに向かっていたが、敵の攻撃に拒まれ前進できずにいた。またも第100大隊は補給を絶たれる。補給将校(S4)のジョージ グランドスタッフ中尉はG中隊数名を率いて荷物を背負い第100大隊まで歩いた。朝方になってグランドスタッフは奇跡的に第100大隊を見つける。
10月23日夕方、尾根に第3大隊が到着する。第2大隊も側面の敵兵を掃討。24日、442連隊はベルモンテの村に下りた。

ブリュイエールには日系2世部隊を称えた記念碑があり、リベラシオン(解放)通りに交わる通りが第442連隊通りと名づけられている。同じくビフォンテーヌのヴォージュの森入口にも後述するテキサス大隊救出の記念碑がある。「この碑をアメリカ軍第442連隊の兵に捧げる。国への忠誠は人種に関わらないことを改めて教えてくれた彼らに。祖国を日本とするこれらのアメリカ人たちは1944年10月30日、ブリュイエール周辺での激戦の末、ドイツ軍に4日間囲まれた第141歩兵大隊を救出した」
テキサス大隊救出の記念碑は、実際に戦闘が行われた場所より離れた所に建てられている。なぜなら人が入るには険し過ぎて、実際の場所では記念碑の役目を果さないからである。

いよいよ次回はアメリカ陸軍10大戦闘のひとつ、テキサス大隊救出作戦が始まる。

参考資料

書籍
荒了寛『ハワイ日系米兵 私たちは何と戦ったのか?』1995平凡社
矢野徹『442連隊戦闘軍団:進め!日系二世部隊』1979角川書店(『442』2005柏艪舎 再版)
ドウス昌代『ブリエアの解放者たち』1983文藝春秋
渡辺正清『ゴー・フォー・ブローク! 日系二世兵士たちの戦場』2003光人社
ジョーゼフD ハリントン 妹尾作太男訳『ヤンキー・サムライ』1981早川書房
山田太一『あめりか物語』1979日本放送出版協会
James B.Harris『ぼくは日本兵だった』1986旺文社
望月三起也『二世部隊物語1~7』2001集英社

ウェブ
『全米日系人博物館 ヒラサキ ナショナル リソースセンター』 
http://www.janm.org/jpn/nrc_jp/nrc_jp.html
『Go For Broke National Education Center.』
http://www.goforbroke.org/default.asp

『The History of Japanese Immigrants 日系移民の歴史』
http://likeachild94568.hp.infoseek.co.jp/index.html
『二世部隊物語』
http://hawkeye.m78.com/442nd.htm
柏木 史楼『米陸軍第100歩兵大隊及び第442連隊戦闘団—日系二世米兵の第二次世界大戦 The 100th Infantry Battalion & The 442nd Regimental Combat Team 日系二世部隊、ヨーロッパ戦線に参戦』
http://www.pacificresorts.com/webkawaraban/nikkei/050203/
『コロニア ニッケイ社会 ニュース』
http://www.nikkeyshimbun.com.br/040714-62colonia.html
『第442連隊戦闘団 – Wikipedia』

なおレポートはもともと他人に見せる予定がなかったので参考資料表記に漏れがあるかもしれません。ご容赦ください。

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