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シャンペン キャンペン
その後4ヶ月間(前回のページ テキサス大隊救出作戦を含むヴォージュ山脈での戦闘のこと)442連隊は南フランスで過ごす。2世兵たちはこの時期をシャンペン キャンペンと呼ぶ。戦線ではあるがのんびり過ごせたのだ。特に前線の警備すらなかった第100大隊にとってはご褒美の意味合いが濃い。
ヴォージュ山脈で負傷し、フランス、イギリス、イタリアの各病院に送られた2世兵のうち265名がこの間に戻ってくる。同時に1,214名の補充兵が参加した。前述したようにこの時期の補充兵は本土の徴兵が多い。すべての資料で442連隊編成時のハワイ2世と本土2世の温度差が特筆されているが、実は終戦までになんらかの形で軍に参加した日系人の数は、事前に兵力となりうる日系人と予想された数にほぼ等しく、結果的にほとんどの2世が戦争に参加していたことになる。
ゴシックライン
ドイツ軍はアドリア海から地中海にまたがるイタリア北部山岳地帯に、岩石とコンクリートで固めた強固な堡塁(ほうるい)を2,300ヵ所も構築した。これがゴシックラインである。
第100大隊がカッシーノで戦った後も、連合軍は依然ゴシックラインで阻まれていた。地中海に近いヴェルシリア地方では、黒人兵のみで編成されたアメリカ第92師団、通称バッファロ部隊が苦戦していた。5ヶ月すぎても進展しない状況に、アメリカ第5軍司令官マーク クラークは、アイゼンハワー連合軍最高司令官に日系2世部隊の派遣を要請する。
1945年3月23日、南フランス、ニース近郊で警備に就いていた442連隊は、マルセイユを出発する。行き先は告げられず、肩章も武器も取り上げられた。彼らが何者か分からなくするためである。442連隊はいまや有名な部隊であり、戦略上、最も敵に動きを悟られたくない部隊の1つにまで成長していたのだ。
日系2世兵は再びイタリアを目指していた。
442連隊は新しい武器を含めた補充をすませ、ゴッシクライン突破のためピエトラサンタに向かう。イタリア人レジスタンスが先頭にたち、442連隊は険しいフォルゴリト山を登った。2世兵の1人が崖に落ちたが、悲鳴をあげれば敵に察知されるので、彼は声をあげず落ちていったという。
4月5日、午前5時を期して作戦が開始される。激しい戦いを制し、第100大隊は5ヶ月かかっても進展のなかったジョージア高地を、攻撃開始わずか32分で攻略。ゴシックライン突破口を開いた。カーチオ、セレッタ山頂のドイツ軍も突破。442連隊はさらに北進する。ドイツ軍ケッセルリンク率いる部隊の激しい反撃をうけながらも、442連隊は第5軍の先頭に立って進軍しヴェルシリア地方を開放した。
1945年5月2日、ついにドイツ軍は包囲され、イタリア戦線での戦闘が終結する。
なお、黒人部隊であるバッフォロ部隊の士気は低くて当然であったろうと推測される。黒人からすればこれは白人の戦争であって駆り出された彼らの戦争ではなかった。むしろ彼らの敵は白人の方であったろう。
ピエトラサンタでは日系2世兵の記念碑があり、サダオ ムネモリのブロンズ像がたっている。
参考資料
書籍
荒了寛『ハワイ日系米兵 私たちは何と戦ったのか?』1995平凡社
矢野徹『442連隊戦闘軍団:進め!日系二世部隊』1979角川書店(『442』2005柏艪舎 再版)
ドウス昌代『ブリエアの解放者たち』1983文藝春秋
渡辺正清『ゴー・フォー・ブローク! 日系二世兵士たちの戦場』2003光人社
ジョーゼフD ハリントン 妹尾作太男訳『ヤンキー・サムライ』1981早川書房
山田太一『あめりか物語』1979日本放送出版協会
James B.Harris『ぼくは日本兵だった』1986旺文社
望月三起也『二世部隊物語1~7』2001集英社
ウェブ
『全米日系人博物館 ヒラサキ ナショナル リソースセンター』
http://www.janm.org/jpn/nrc_jp/nrc_jp.html
『Go For Broke National Education Center.』
http://www.goforbroke.org/default.asp
『The History of Japanese Immigrants 日系移民の歴史』
http://likeachild94568.hp.infoseek.co.jp/index.html
『二世部隊物語』
http://hawkeye.m78.com/442nd.htm
柏木 史楼『米陸軍第100歩兵大隊及び第442連隊戦闘団—日系二世米兵の第二次世界大戦 The 100th Infantry Battalion & The 442nd Regimental Combat Team 日系二世部隊、ヨーロッパ戦線に参戦』
http://www.pacificresorts.com/webkawaraban/nikkei/050203/
『コロニア ニッケイ社会 ニュース』
http://www.nikkeyshimbun.com.br/040714-62colonia.html
『第442連隊戦闘団 – Wikipedia』
なおレポートはもともと他人に見せる予定がなかったので参考資料表記に漏れがあるかもしれません。ご容赦ください。