442連隊に関するレポート その16

【 大人を遊ぶ。ありきたりな日常を冒険する 】

【 Enjoying adulthood. Adventure at ordinary days. 】

掲載にいたる経緯

映画化したかった脚本がある。
第2次世界大戦で活躍した日系アメリカ人部隊の物語だ。
アメリカ人であるというアイデンティティをもちながら敵国人の息子として疎外された彼らと
アメリカに戻りたいのに事情があって許されない自分の人生が重なった。
脚本と参考資料は某脚本家の手に渡ったのち、まわりまわってあるプロデューサーまで行ったことまでは知っている。
たしか2010年代のことだったと思う。
しかしその先のことはわからない。
なにかあったとしてもこちらに声がかかることはなかった。
残念だがあきらめるしかない。

脚本を書くにあたり前段階として資料を読み漁ってレポートにまとめていた。
この資料作成作業は一時期筆者のライフワークとなっていた。
レポートによると最終編集が2009年4月22日になっている。
せっかくなのでこのページでそれを公表しようと思う。
少々重く硬いテーマでサイトのコンセプトと異なるが他に発表する場もないのでここに記していく。

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442連隊の凱旋

 442連隊は、どうやら帰国後すぐに収容所に軟禁されたらしい。
その後1945年9月、凱旋した各部隊がワシントンDCの大通りで行進した。そのなかに442連隊も含まれていた。彼らはアメリカ人から熱狂的に迎えらる。矢野徹がそのシーンを創作しているので、以下に引用する。

いま、かれらヨーロッパ派遣アメリカ軍各部隊は首都ワシントンの大通りをつぎつぎと行進していった。
軍楽隊は勇壮なマーチを吹奏し、拍手と歓声は全市を埋めつくすほどだった。だが、万雷の拍手は、いつしか消えていき、大通りの両側を埋めた大観衆は静まりかえった。
かれらの目の前に、いま行進してくるのは442連隊戦闘団だった。(中略)
ひとりの男が帽子を脱いだ。みるみるうちに、すべての人が帽子を脱ぎ、傘をたたみ、(中略)やがて、静まりかえっている大観衆の中で、ひとりの老婆が泣きながら叫んだ。
「坊や、おかえりなさい!」(中略)
 その声を導火線にして、全市街をどよもす万雷の歓声がまきおこり――。

1946年7月15日、あいにくの雨の中、442連隊はホワイトハウスの芝生でトルーマン大統領から7つ目の大統領部隊感状を受ける。トルーマンは次のように演説した。「諸君は戦場における敵だけでなく、アメリカ国内における偏見とも戦った。そして諸君はいずれの戦いにも勝利をおさめたのだ。戦い続けたまえ。そうして全市民に対して福祉を約束するための戦いに勝利し続けよう」”You fought for the free nations of the world.…You fought not only the enemy, you fought for prejudice, and you have won.”
この式典の前後にはワシントンの目抜き通りを442連隊が行進し、10,000人の観衆が集まった。各省は見物のために特別な休憩時間を設けるほどである。
ちなみに442連隊は半年も前からこの日のために行進の練習をしていた。興ざめする話ではあるが、行進に参加した兵のなかには戦後に入隊した者もいた。オリジナルといえる兵の多くが既に家族のもとに帰り軍服を脱いでいた。

第442連隊戦闘団が獲得した勲章は、個人が得たもので18,143個とも30,000個を超えるともいわれておりアメリカ陸軍史上最も多い。また442連隊は負傷者が多く、戦死は約700名、最終的なのべ死傷率は314%にのぼる。つまり、2世部隊は平均3回死傷したことになる。このため442連隊はパープルハート部隊(Purple Heart Battalion:名誉戦傷部隊)とも呼ばれた。以下に主な勲章をあげる。

・議会名誉勲章(CMH)最高位の勲章
・殊勲十字勲章(DSC Distinguished Service Cross)
・銀星勲章
・勲功章
・陸軍軍人章
・銅星章
・名誉戦傷章(Purple Heart 柏葉飾り付は複数の戦傷を意味する)
・大統領部隊感状(Presidential Unit Citation 部隊に与えられる中で最高位の勲章。アメリカ軍最多の7個を獲得している。うち5つはヴォージュの20日間という短期間で取っており、これも前例を見ない。最後の1つはトルーマン大統領が直接、連隊旗に括り付けたが、こちらも前例を見ない)

442連隊が獲得した勲章は、のちに格上げされたものが多い。排日感情、人種差別があったため、あとから再調査が行われた。

ハワイ人種別戦没者数
人種戦没者数全体にしめる割合
ハワイ人系16名1.99%
白人166名20.00%
中国人系24名2.98%
日系506名62.78%
朝鮮人系11名1.36%
フィリピン人系24名2.98%
     (『ハワイ日系米兵』には600余とある)  
     

その後の442連隊戦闘団

強制収容所管理事務局(WRA)が本土2世兵のために手を尽くしていたとはいえ、結局彼らの帰っていく家は鉄条網の中だった。
また、日系2世部隊の活躍とは裏腹に、白人の日系人にたいする差別は続いた。特にカリフォルニアが酷く、レストランや理容院で追い出される2世が続出した。焼き討ちや発砲事件も起きている。終戦後、積極的に日系人の名誉回復に努めていた軍部は、事態収拾のため人気のあったジョー スティルウィル将軍まで担ぎだす。
その後、ハワイの2世たちは積極的に政治に参加。平等な地位を得るための戦いを続けた。やがて共和党しかなかったハワイで2世たちの民主党が政権を握るようになる。
ロサンゼルス ボイルハイツにあるエバーグリーン墓地には442連隊の兵士たち114名の墓と共に殉国碑が建てられている。ここには後述するアイゼンハワーとマーク クラークの言葉と共に次の言葉が刻まれている。「この記念碑は日系アメリカ人社会により、日本人の祖先を持つアメリカ人兵士の思い出のために建てられた。彼らは第2次世界大戦において戦い、苦しみ、そして死んでいった。自由、正義、幸福の追求における平等の機会が、人種、宗教、肌の色、どこの国の生まれであるかを問わず、あらゆる所の民主平和を愛するすべての人々の上に来ますように。1949年5月30日」

1959年、ハワイがアメリカの直轄領から第50番目の州となる。
1960年代になると、人権意識、公民権運動が高まり、日系人は模範的マイノリティーと賞賛される。
レーガン大統領が「諸君はファシズムと人種差別という2つの敵と闘い、その両方に勝利した」と442連隊を讃える。
1995年9月2日、ワイキキ、カラカウア通りで退役軍人パレードが行われる。特別観覧席で見ていたクリントン大統領は、それまで交わしていた側近との会話をやめ、第100大隊、442連隊の前で立ち上がり敬礼した。これは異例なことである。それまで大統領は立ち上がらないのが慣例だった。
1999年、ロサンゼルスのリトルトーキョーにゴーフォーブロークモニュメントが建てられる。
現在、442連隊は解体されているが、第100大隊は予備役として残っている。本部はハワイのフォートシャフター。2004年8月、第100大隊が第29独立歩兵旅団(ハワイ州兵)の大隊機動部隊の1つとして活動を再開。2005年3月イラクで任務につく。
ハワイの国立墓地、パンチボウルでは今も約600名の兵が眠っている。

参考資料

書籍
荒了寛『ハワイ日系米兵 私たちは何と戦ったのか?』1995平凡社
矢野徹『442連隊戦闘軍団:進め!日系二世部隊』1979角川書店(『442』2005柏艪舎 再版)
ドウス昌代『ブリエアの解放者たち』1983文藝春秋
渡辺正清『ゴー・フォー・ブローク! 日系二世兵士たちの戦場』2003光人社
ジョーゼフD ハリントン 妹尾作太男訳『ヤンキー・サムライ』1981早川書房
山田太一『あめりか物語』1979日本放送出版協会
James B.Harris『ぼくは日本兵だった』1986旺文社
望月三起也『二世部隊物語1~7』2001集英社

ウェブ
『全米日系人博物館 ヒラサキ ナショナル リソースセンター』 
http://www.janm.org/jpn/nrc_jp/nrc_jp.html
『Go For Broke National Education Center.』
http://www.goforbroke.org/default.asp

『The History of Japanese Immigrants 日系移民の歴史』
http://likeachild94568.hp.infoseek.co.jp/index.html
『二世部隊物語』
http://hawkeye.m78.com/442nd.htm
柏木 史楼『米陸軍第100歩兵大隊及び第442連隊戦闘団—日系二世米兵の第二次世界大戦 The 100th Infantry Battalion & The 442nd Regimental Combat Team 日系二世部隊、ヨーロッパ戦線に参戦』
http://www.pacificresorts.com/webkawaraban/nikkei/050203/
『コロニア ニッケイ社会 ニュース』
http://www.nikkeyshimbun.com.br/040714-62colonia.html
『第442連隊戦闘団 – Wikipedia』

なおレポートはもともと他人に見せる予定がなかったので参考資料表記に漏れがあるかもしれません。ご容赦ください。

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